puW<会場配布レジュメ> 「汎優生主義」のリミット Workshop Version:2004.11.23 *導入としての「スーパーフラット=バブルの焼け跡」:「詩人、喜劇人」である 死紺亭柳竹(松下真己)氏「過渡期ナイト」ワークショップ(2004.11.21)より 1.現代社会福祉の実践と「新優生主義(Neo-eugenics)」の遭遇 母体血清マーカーの遺伝子検査:不特定多数を対象とするマススクリーニング方式 2.「汎優生主義」の展開――「ユビキタス社会」の登場とデータベースの実践 事例:第16回 朝日ヤングセッション 坂村健講演会「トロンの夢・ひとの夢」(主催/朝日新聞社 後援/文部科学省・東京都教育委員会 協賛/協和発酵)に関する広告記事(2003.11.15.朝日新聞) 「 (中略)ユビキタス・コンピュータが重視するのはグローバリゼーションではなく、ローカリティです(中略)小さなコンピュータをたくさん作って、それぞれ機能を特化させた様々なモノをゆるやかに繋げることによって、大きな一台のコンピュータがやっていたよりももっと大きな仕事をするようなコンピュータシステムを作る。それが、「ユビキタス・コンピューティング」なのです」 *「遺伝子チップ(ジーンチップ)」を基盤にしたデータベース化:究極的には、我々の生存は、マイクロチップに定着され可視的なものとなった自分の遺伝子を自分の好きなように改造できるチャンス(選択可能性)に直面することになる。こうした流れにおいて、<汎優生主義>は、単に遺伝性疾患の可能性をあらかじめ予防すべき負の要因として構築するのみならず、さらに、より生存に値する存在に我々自身を「改造」する際限のない志向性を持つ<偏在的な無意識>として構築され機能する。また、去勢の困難さというテーマは、「我々の笑いの統御」というもう一つのテーマと密接に結びついている。<我々自身の無意識>は、データベース・テロップの装置によって構築される。 3.「汎優生主義」のリミット――事例としての<ヒミズ> 少年の言葉(分析対象の一部) 「オレは「自分も特別」などと思い込んでいる「普通」の連中のずーずーしいふるまいがどうしても許せん ぶっ殺してやりたくなる」 「…オレと正造は高校へは行かない…… 中学出たらすぐに働くんだ(中略)オレはここでのんびりボートを貸す たぶん一生… ここには大きな幸福はないがきっと大きな災いもないだろう オレはそれで大満足だ どうだ? お前からしたらクソのような人生か?」 「正確に言うと元とーちゃん オレの中で「死んだら笑える人」No.1の男だ 世の中にはよ… いるんだよ 本当に死んだ方がいい人間が 生きてると人に迷惑ばかりかけるどーしようもないクズが」 「世の中には頭の悪い奴がたくさんいるんだ…そういう連中はいくら考えたってどうにもならない…じゃあどうする? …すべての答を行動で出していくしかないだろう?」 「わかってる そんな事は分かってるんだ…… …………バカがバカを殺す…それでいいじゃないか……」 「………やっぱり………ダメなのか?… ……どうしても…無理か? (……決まってるんだ)…そうか……決まってるのか……」 ---------------------------------------------------------------------------------- *参考:「ワークショップ2004」分科会(2005.2.20.) 「優生主義化」する社会(汎優生主義)と臨床社会学 <レジュメ> 本分科会においては、我々が「汎優生主義(Pan-eugenics)」と呼ぶ 新たな社会的過程をテーマ化する。ここでは、「優生主義(Eugenics)」 を、正/負の価値軸に応じて構築された社会集団の選別を目指す思想と 実践の総体としてとらえる。次に、「汎優生主義」が登場してくる社会 的条件として、「新優生主義(Neo-eugenics)」という事態を指摘する。 「新優生主義」は、個人、カップルの選択(自己決定)による遺伝性疾患 の診断、治療、予防を推進する思想と実践の総体と定義される。 「新優生主義」とは、個人、カップルの選択(自己決定)による遺伝性疾患 の診断、治療、予防を推進する過程を通じて、正/負の価値を持つ社会集団 を構築し選別する思想と実践の総体である。「汎優生主義」というテーマは、 遺伝的リスクという場面にとどまらず、我々の生存におけるあらゆる場面を 「より生存に値する/値しない」(正/負)という価値軸に沿って無際限に 階層序列化する思想と実践の総体として、仮説的な問題提起の形で論じられる。 「新優生主義」から「汎優生主義」への移行を媒介するのが、「新優生主義」 を基礎づけるものとしての、遺伝性疾患の診断、治療、予防を可能にするテク ノロジー的基盤である。「ユビキタス社会」とは、このテクノロジー的基盤が ネットワーク化することによって、偏在的に我々の生存を覆い尽くす社会を 意味している。本論においては、「より生存に値する/値しない」という価値 軸は、偏在する/どこにでも存在する(ユビキタス)<我々自身の無意識>と して構築され機能すると仮説的に想定している。ここではまだ仮説であるが、 <我々自身の無意識>の構築過程をテーマ化する限り、我々は「ラカン派臨床 社会学」のアプローチがミクロ・マクロ両レベルにおいて不可欠であると考 える。最後に、古谷実のコミック作品『ヒミズ』の読解を通して、「汎優生 主義」に対して何らかの応答をしてみたい。そのため、「より生存に値する /値しない」という価値軸が浸透した<我々自身の無意識>が偏在的なもの となった世界における「個人の問題」を提起した事例として、『ヒミズ』の 読解を試みる。『ヒミズ』は、「ヤングマガジン」に2001年9号から2002年 15号にかけて連載された古谷実のコミック作品である。我々は、「グローバル 化における<個>の問題」は、ここにおいて最も先鋭な表現を見出していると 考える。 Copyright(C) Nagasawa Mamoru(永澤 護) All Rights Reserved. |